先日、私が会社設立当初から所属している兵庫県中小企業家同友会の旧友から電話をいただだきました。30年前の同友会入会当初から青年部幹事長として活躍し、兄貴的存在として10年近く親しくお付き合いしていた神戸の松島俊哉さんが末期がんで余命3ヵ月から6ヶ月、長くて1年と宣告を受けたというのです。松島さんとはここ十数年お会いすることもなかったのですが、「はるかのひまわり絆プロジェクト」という活動を主催しており、後を託す目的もあって、残された時間で全国行脚を行っているということでした。
このプロジェクトは1995年1月の阪神淡路大震災で亡くなった「加藤はるか」さんという少女に由来しています。震災から半年後、かつてはるかちゃんの家があった空き地、はるかちゃんの遺体が発見された場所に無数のひまわりの花が、力強く、太陽に向かって咲いていたというのです。お母さんはひまわりを見て「娘がひまわりとなって帰ってきた」と涙し、近所の人たちは、この花を『はるかのひまわり』と呼んだといいます。
震災の際に救助にあたった藤野芳雄氏が毎年、その種を紡ぎながら育て、全国への配布活動をはじめました。藤野さんは2012年に亡くなりますが、松島さんがあとを引き継いで、ひまわりを育てることを通じて、震災の記憶を伝え、命の尊さや人とのつながりの大切さを考える機会を創出し、感性豊かな地域社会を育むことを目的に活動されています。
9月19日に松島さんと仲良くしていた十数人の仲間が、神戸三宮の居酒屋に集まりました。
中には20年ぶりに会った友人も多かったのですが、当の松島さんは至って元気で、体格も血色もよく本当に余命宣告を受けた病人なのかとびっくりしました。数年前に大腸がんが見つかり、肝臓に転移しているということで治験新薬を試したところ、それが効いてガンが縮小し、いったん切除手術で治っていたということなのですが、昨年肺に移転しているのが見つかったということです。その後抗がん剤治療を行っていたということですが、完治することは難しく、延命のためのものであると聞かされ、今年の2月に抗がん剤治療を中止しており、それからは全く自覚症状がないものの8月に余命宣告をされたということです。
残された時間で全国40都道府県訪問を目標に行脚していくと言います。年齢は67歳で私とさほど変わらないのですが、私だったら、このような状況の中でこんなに明るく活動的でいられるのかと思います。当時から人懐こくて、涙もろい、とても情の厚い男です。来月から仲間たちと毎月集まろうということになりました。私もできる範囲でプロジェクトを支援していこうと思います。「全国回って忙しくしてたら、ガンがいつの間にか消えてたわ」と半年後には笑っているような気がしています。